2018年11月、日産のカルロス・ゴーン会長が逮捕されました。
ゴーン会長が、日産の社長に就任してから、大幅なコストカットを行い、業績を回復させた。
というような、大雑把な知識しかない私なのですが、このニュースから私が株式投資に関するヒントを掴むとしたら…。
このブログはタイトルどうり、テクニカル指標から投資法を考えていく方針なので、カルロス・ゴーン氏が日産の社長になってからどう動いたのかを、あなたと一緒に見て見ましょう。
カルロス ゴーン氏の社長就任は1999年6月
カルロス ゴーン氏が日産自動車の最高取締役に就任したのが1999年年6月です。
そこから、日産自動車のの株価チャートが、どのように動いたのか見て見ましょう。
30年間の月足チャートを見てみよう
2018年までの30年間の月足チャートを見て見ましょう。
チャートが30年までしか確認できないのですが、この30年間での最高の株価は、バブル景気真っ只中の1989年辺りで1,600円を超えていました。
バブル景気中にも日産の株価は大きく下がっている
バブル景気とは1991年2月まで、と言われています。
不思議なことに、バブル景気の最中である1989〜1991年には、株価が1,600円から800円を切るところまで下がっています。
私には何があったのか分かりません。
バブルの崩壊を予測したのでしょうか?
バブル崩壊の時期の日産は?
バブル崩壊の時期は1991年3月から1993年10月までの景気後退と言われています。
個人的な私の体験ですが、1992年頃は広告関係の仕事をしていたのですが、バブル崩壊による急激な影響はマスコミ業界ではタイムラグがあったのか、私は小さなデザイン事務所に入社してる、すぐにハワイ一週間の社員旅行(ゴルフプレイ付き)を経験しました。
ちなみに、前年の社員旅行は香港だったそうです。
それが、1993年後の年末の社員旅行は会津若松一泊旅行になり、翌年は社員旅行自体がなくなりました。
そして、その会社が取引していた広告代理店もなくなり、デザイン事務所も今は存在しません。
話を元に戻しましょう。
そんなバブル崩壊後、日産自動車の株価は、1998年の終わり頃には400円を切ってしまいました。
ルノーとの提携、そしてカルロス ゴーンの登場
カルロス ゴーン氏が社長に就任した1999年から2007年辺りまで、株価は400円台から一時は1,500円を超えました。
これは、カルロス ゴーン氏の手腕なのかどうか判断分かりませんが、リストラや工場の閉鎖などの「コストカット」で、日産を蘇らせたのは事実です。
2007〜2009年の下落の原因は?
とは言っても、チャートを見ると、2007年初めの1500円台から、2009年の初めのには、この30年間で最低の株価を記録しています。
この原因はなんだったのでしょう?
と思って調べて見ると、そうそう、あの時期は「サブプライムショック」に世界が揺れていた時期でした。
日産自動車もその影響を受けたというわけですね。
カルロス ゴーンさんの力でも、サブプライムショックから、逃れることはできなかったようです。
そして、株価はジリジリと上昇し、2017〜2018年は、1000〜1200円の間(2018年11月27日時点では971.5円)となっています。
日産自動車と日経平均のチャート比較では、2017年以降の動きが連動していないようにも見えますね。
日産自動車の雲行きが怪しいという情報を知っている人たちがすでに動いていたのかもしれません。
そんな風に読めるのは、後付けの理論だからなのですが、
日本経済を引っ張っていくはずの大企業が、日経平均の動きと、違う動きをしていたりするのを発見したら、裏で情報を知っている筋が、早めに動き出しているサインかもしれません。
下がるにしても上がるにしても。
ゴーン亡き後の展開は?
カルロス ゴーン氏は日産を去ることになりました。
これは、カルロス ゴーン氏の私的流用問題が原因で、彼の経営理念に対する否定というわけではありませんから、日産にとって、今回のことが良い方向に出るのか、悪い方向に出るのかは、私には分かりません。
ゴーン氏が退いて、日産の車の性能が急に良くなるわけでもありませんし、車の評判が落ちるわけでもありません。
「車をどうやって売るか」が問われるわけです。
ここから、チャートがどんな形を作っていくか、さっぱり分かりません。
しばらく、下降していくような気がしますが…。
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